完成当初は両翼100 m、中堅118
mでグラウンド面積は13,566㎡。内野がクレー舗装(黒土)、外野が天然芝であった。当時としてはかなり広大なものであり、東京六大学ではエンタイトルツーベースを“エンタイトルスリーベース”とするオリジナルルールを適用していた。
1962年には東映フライヤーズの要請により、プロ野球開催時のみ左・右中間から両翼にかけてラッキーゾーンを設置した。設置時の両翼は91.4mであった。
1965年には前年の東京六大学の試合において、外野手がコンクリートフェンスに激突して怪我を負った事故の対策としてラッキーゾーンが固定式になり、他のコンクリートフェンスの内側にも金網フェンスが付けられた。
さらに1967年、ホームベースの位置を中堅方向へ8.5m移動し、内野スタンドと外野スタンドの両翼側を内側へ増築、外野スタンドの中堅部分を削る工事を行った。この工事により両翼が91m、中堅が120m、外野フェンスの高さが1.8mとなり、当時としては標準的な広さとなった。ラッキゾーンは廃止されたが危険防止用の内側金網フェンスは存続、のち1970年に全面ラバーフェンスとなった。
1980年(昭和55年)、ファウルグラウンドにのみ人工芝を敷設してテストし、1982年から全面透水性人工芝化。日本初の透水性人工芝と謳われた。
マウンドなど土の部分は当初黒土のままであったがまもなくアンツーカーへ変更された。その後、1988年・1993年(内野のみ)・2003年(内野のみ)・2008年と張替えを行っている。ロングパイル人工芝となったのは2008年からで、それに合わせ人工芝下の舗装と暗渠も全面改修され、古くなった人工芝は隣接の第2球場に使われた。
なお過去にも当球場で使われた人工芝は戸田球場や東京大学のグラウンドで再利用されている。
1995年(平成7年)には人工芝の導入により増加していたエンタイトルツーベースへの対策として、ラバーフェンスの上部に1.5mの金網フェンスが追加され、全体で3.3mとなった。